畑野町
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01.畑野町の名前の由来
畑野(はたの)は東西に長く伸びた谷で古くは「畑谷」と呼ばれていました。中央部に比較的平坦な地にある「広野」を挟んで、東に「千ケ畑」と西に「土ケ畑」があり、畑谷三ケ村とも呼ばれてきました。その三ケ村が合併した時、千ケ畑と土ケ畑の「畑」と広野の「野」をあわせて「畑野」と名付けたと言われています。
1646年 (正保国絵図) | 1702年 (諸国郷帳) | 1871年 (廃藩置県) | 1889年 (町村制) | 1955年 (町村合併) |
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園部藩 千ケ畑村 | 仙洞御料地 千ケ畑 | 京都府 桑田郡 千ケ畑村 広野村 土ケ畑村 | 南桑田郡 畑野村 大字 土ケ畑 大字 広野 大字 千ケ畑 | 亀岡市 畑野町 千ケ畑 広野 土ケ畑 |
園部藩 広野村 | 園部藩 広野村 | |||
園部藩 土ケ畑村 | 園部藩 土ケ畑村 |
02.人口と世帯数
人 口 | 世 帯 数 | で き ご と | |
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元 | 1,090 | 320 | 昭和50年頃から住宅開発が始まる |
5 | 1,626 | 711 | 人口が急激に増えだす |
10 | 3,382 | 1,030 | 人口のピークを迎える |
15 | 3,194 | 1,091 | |
20 | 2,786 | 1,104 | |
25 | 2,327 | 1,074 | |
30 | 2,000 | 1,013 | 65歳以上の人口が 3 分の 2 を超える |
5 | 1,739 | 956 | |
将来予測 | 人口減少の流れは止まらず、さらに減少すると思われる ⇒少子高齢化がより進行する |
03.地理と気象現象
東西 約7㎞、南北 約3㎞、面積 約15.6㎢の東西に細長い地形で四方を山に囲まれた山間地。
北に半国山(774m)、南に剣尾山(784m)、西に深山(709m)、東に小和田山(611m)がある。標高300mから400mの高地にあって、夏は涼しいが、冬は寒さが厳しく積雪もある。
土ケ畑を起点に大路次川が広野へと流れ、東から流れる千ケ畑川と広野で合流して南へ流れて猪名川、神崎川へと合流して瀬戸内海へ流れている。
道路は土ケ畑から広野へ、そして南方に向かって大阪へ通じる府道 54号線(園部能勢線)が走り、広野から東方へ東西に府道 731号線(天王亀岡線)が走り、千ケ畑を経て亀岡へと通じている。
04.畑野町の四季・環境
(春)山桜とともにコブシの花がまわりの山に咲き誇ります
(夏)深緑の中に多種の野菜が栽培されています
まわりの山々には、野鳥や昆虫もたくさんいます
自然がいっぱいの畑野には希少生物も生息しています(秋)澄み渡った満天の空に輝く星を見ることができます(冬)朝起きると一面が銀世界と一変する日もありますまわりの山々には、野鳥や昆虫もたくさんいます
05.大梅山 法常寺
1632年 | 一絲文守(仏頂国師)はこの地に入り、丹波山国に庵を結んだ。 |
1634年 | 庵に道場が建てられ「桐江庵(とうこうあん)」と呼ばれた。 |
1641年 | 桐江庵の北に後水尾上皇(第108代)発がんにより堂宇が整えられる。御所の宮殿が下賜される。一絲文守を開山として開創した。以後、歴代皇室、近衛家などの崇敬を受けた。 |
1646年 | 一絲文守が亡くなる。 その後も、上皇、皇室の帰依は続く。 |
1666年 | 「法常寺」の勅願が贈られる。 |
また、境内の庭園は京都府の名勝に指定されています。
06.西山神社
創祀時期は不明。旧千ヶ畑村の氏神です。 現在の社殿は宝永二年(1705年)に再建されたもの。
法常寺所蔵の西山神社御造営記録には「牛頭天王・良持天王・山神・聖御前 右四社往古天正十八年(1590年)庚寅霜月に再営有所也云々」と記されています。
また素戔嗚尊以外は明治期に隋神として奉斎したものと考えられています。
境内社は八幡神社・市杵島姫神社・玉依姫神社の3社が合祀された末社と、社名が不明な末社が1社。
それに本殿覆屋内に、皇大神宮、神武天皇社、籔田大明神、蘇民将来社、北国大明神が祀られ、鳥居の近くに社名が不明な境外末社が1社ありました。
変形の流造で、神座は4座(四間社)となっていて大変珍しい建築様式であるそうです。神社護持に「六人衆」という制度があって、年長者から1年交代で選ばれます。
神社は「亀岡の自然100選」に選ばれています。
07.歳振り神事
正月三日の雪が舞う早朝、西山神社の年初めの催事として、その年の五穀豊穣を祈る事「歳振り神事」が行われます。 氏子たちが、神主のとなえごとに合わせて、その年の恵方に向かって樒(しきみ)を高々と掲げて、「ワハハッ」と声高らかに笑いをする珍しい神事です。
08.半国山
かつて霊場半国として修験の山であった丹波の高峰半国山(標高 774.2m)。丹波・摂津・播磨と三国がそれぞれ半分見られるとか、三国にまたがっている山だとかで半国山というようです。
今日、京の愛宕山とともに登山で親しまれている山の一つです。
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